お話続き

  

 

隈研吾氏の建物が見たくなり、根津美術館に行ってみた。
 
かなり深い軒下の空間が美術館への入口へ通じる 道。
道路側には本物の竹。
建物側の壁面は一面 竹で覆われいる。
深呼吸したくなる そんなアプローチ。
気持ちを整えて。と言われているよう。
 
広重美術館にも通じる味わいですね。
 

 
 

人のために建築は何が出来るか・・。 
そんなテーマを持って建築に取り組んでいた建築家、 
前川國男氏 
ル・コルビジェに師事/レーモンド建築設計事務所勤務 
/前川國男建築事務所を設立/ 
東京都美術館等の公共建築物を主に設計。 
前から、行きたかった前川國男自邸に行ってきました。 
江戸たてもの園 
  
新しいから良い家というものはない。 
どれだけその空間が自分に合うのか。 
そこだけなのではないかと思う家でした。 
  
家の内覧の時に、そこで、深呼吸出来る家を選んで欲しいですね。 
 

 
1000年に学ぶ。戻って住むという発想。
 
 

 
震災から、何日目とテレビで放映している。
近代建築は自然災害にはかなわない。
 
「 都道府県には公園や施設がそれぞれに存在するが、
 今後は、城 を建築するのが良い」
アトリエ・ワン 東京工業大学塚本研究室 筑波大学貝島研究室
共同ワークショップの様子が展示されていた。
突飛な提案のように聞こえて、ちょっと笑ってしまった。

都市を構成する既存のあらゆる要素を再検討する合理性を追求した近代建築
が耐え得なかった自然災害にこれからの建築がどう対峙すべきなのかという
着眼点からの 「城!」
 
図1

 
城と城を橋で結び、松(塩に強い)を植え、橋の上には住まいや店を。
図2
 
この並びが船という鉄の塊を凶器とするという。
この並びを縦に。
 
城には強固な石垣があり、その上や橋に商店。そしてその上に住宅。という。
図1のように、城と城を橋で結ぶ。
昔、ポンテ ヴェッキオを実際に見た時には、全くこの姿を日本の街にイメージ
出来なかった。
フィレンツェ のポンテ ヴェッキオのように、世界遺産の姫路城のように、
1000年の歴史から、新たな街の姿を思索した、ひとつの形だという。
 「 城 」
案外、いいアイディアだなぁ。
 

 
 

 

 
「眼前に海のある日常を確保すること。
15m超の壁で遮られるような事はしない。高台への集落移転が
円滑に進んでいるところはそのままでOK 但し、漁業就業者が海の見えないところ
に居住するのは好ましくないので、出来る限り海のそばの高台に。」
未来の家 展示の中でひとつのブースに書かれている内容だった。
 
海との共存の形。
海との共存の生活 居住の可能性を探っている 未来の集落だ。
 
カテゴリーごとに高台をつくっている。
学校や住居。この高台を形成しているのが、瓦礫。
ひとつの島で、1.2万㎡の瓦礫が利用出来るという計算。
 
以前に出会った、「城」で住まいを守る という考え方に近いように思う。
新しい発想や技術が求められているのだと心から思う。
 
 

 

 
未来の家の展示の中のひとつ。
四本柱建物 設計 大松俊紀氏
合理的に計算すれば、柱の太さは105角で済んだであろう。
だが、私は直径400の杉丸太を選んだ。
またそこは白く象徴化された空間と生々しくも荒々しい
具象的事物の衝突の場を想像することでもあった。
そこに森があるようだ。
野生の自然のような”原始性”を生み出せた。
大松氏文章抜粋
 
家は、動物的感覚からすると、巣であると
展示会場の一部の壁に書かれた文章があった。
40センチの柱がリビングにある。
少し想像しにくいが、
これが、杉の木だと、大きな象徴になるのかもしれない。
説明はなかったが、杉の木というのも重要なのだろう。
杉という木は [クリプトメリア=ジャポニカ]という別名があり、
その意味は、<隠された日本の財産>だという。
建築資材の地産地消。
日本の荒れた森への再利用を考えている人は、こんなところにも。
 
 

 
 

 
群馬県の収益を見る機会があって、その帰り。
世界の住宅プロジェクト展へ。
日本の作品の中で、ひとつ、
香川県の70代の男性の一人暮らしの家。
ツイノスミカ というイメージはそこになく、地域の人達との積極的な
コミニュケーションを楽しむ家になっていた。
ぐるりと取り囲む塀は、全てがベンチのようになっていて、
その家のまわりで、どこでも会話が始まる。
 
スミカ とは、そういうものなんだなぁ。
人と人の領域とは、なんだろうなぁ・・・。
 

 
お城も建築。
 

 
 名古屋城は今はエレベーターまで完備されている近代的な内装の城になっていて、
 年配の方や車いすの方に優しい城となっている。これは結構珍しい。
 昭和20年、空爆で天守閣や本丸御殿まで消失した。
 それが、市民運動で復活したということなので、当時の「市民」のパワー
 というのは、すごかったのだろう。
 市民パワーで復活した名古屋城と金シャチそれが昭和34年というから、すごい。
 今では鉄筋コンクリートになっちゃったけど、昔の木造建築物を守る為の
 金シャチ。オスとメスがあるらしい。北側がオス 南側がメス。
 名古屋城 個人的感想として ★★★☆☆
 
 「近代的な博物館城」 に微妙な印象を受けないこともないけど
 焼け落ちてしまったシンボルの復興を願う、昭和30年代の人の
 強固な建物を望んだ姿なのかとも、思う。
 建築基準法の関係もあって木造では許可が下りなかったとか。
本丸御殿は木造という話。
 
岡崎城  個人的感想として ★★★★
 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286307 ↑
国立国会図書館デジタル化資料で正確な古地図が見れる。
 
 家康誕生の城  それだけで集客力は抜群。
 佇まいは派手ではなく、 平日は観光地というようりも街に馴染んでいるような気配。
 
 こちらも鉄筋コンクリート造。 昭和34年(1959)3月復元。
 乙川と伊賀川に守られた江戸時代の岡崎城は、総構と呼ばれる堀で、
 日本で4番目の広さを誇った城。
 
さっぱりしている 気がする。
 

 
清州城  ★★☆☆☆
天下統一の出発の地はすっかり解体されて、平成元年に再建。
天守閣から名古屋城が見える。 これは少し面白い。
ただ、平成元年の建物として、どうにもしっくりこない。
城らしからぬ・・城。という印象。
 

 

 
高知城
 

 
高知城   ★★ ☆☆
物件の調査で高知へ。数時間の滞在だったので城だけ登ってきました。 

城というのは、自分と國を守る要塞だから、やっぱり、
かっこよく見えないといけない。城には城主の想いが込められている。 
築城する武将の男のロマンが、今でも感じられるような気がして・・
 
 
ブラタモリでやってましたが、信長の城の見せ方は、
戦争を回避する為の城だったという話。
こんなすごい城をつくる相手と戦っても負けるだろう・・。
抑止力ですね。
 

 
天空の城
 

 
竹田城   ★★ ☆☆
朝来市の物件調査の帰り、竹田城跡に立ち寄る。
平日の夕方だったので、ひっそりとしていて、冷えた空気がより一層
神秘的な雰囲気を漂わせていました。
 
JR竹田駅より登山並みの道を選択。
駅の北側に渡るにはこの電車が通る線路をくぐる道のみ。
 
途中、頭上を大音量と共に電車が走り去る。
 
汗だくになりながら、40分程かけて急な山道を登る。
 
立派な石垣と、壮大な景色。
 
汗だく40分 景色10分。寒すぎて早々に下山。
 
天空の城人気で、町並みもすっかり綺麗になって、
カフェや駐車場も整備され、しっかり観光地でした。
 
 

 
 

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